元気になった今、起立性調節障害とは何だったのか考える。

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娘が中二の夏に学校に行けなくなり、起立性調節障害と判明。昼夜逆転生活で一時は寝たきりのような状態が続き、この先娘はどうなってしまうのか全くわからず闇の中で聞き慣れない病気へ立ち向かっていた。優しい言葉をもらったこともあるけれど、たくさんの人からの心無い言動もあった。起立性調節障害と言っても症状の重さは人それぞれで、時期によっても良い時と悪い時がある様子。親はこれまでの凝り固まった常識を全て捨てて子供にストレスを与えないように気をつけ、黙って見守り寄り添うしかない。そのような状態の頃のブログはnoteに綴っています。よかったらこちらから↓ご覧ください。

起立性調節障害|しろくま|note
起立性調節障害と言っても症状の重さは人それぞれ。時期によっても良い時と悪い時があるようです。親はこれまでの常識を捨てて子供にストレスを与えない。黙って見守り寄り添うしかない。

気をつけたこと

最初は朝起きることができないのは、学校で何かあったのかと思っていました。しかし、何日もそのようなことが続き、今思えば酷いことをしてでも起こそうとしていました。

参考までにこちら↓【起立性調節障害の子の親は甘いのか⁈】

起立性調節障害の子の親は甘いのか⁈|しろくま
先日私の母と話す機会があった。母は娘の病気について自分なりに調べ数少ない理解者で感謝している。ただ身内に不登校児がいると色々な人が色々言ってくる。 私の兄弟が母に私が甘やかしているから朝起きないし学校...

起立性調節障害という病名を知り、朝起きることができない病気ということを実際に理解することになるまでは何とかして学校へ行かせようと頑張る私自身が娘のストレスの一因になっていたことでしょう。

そして本当に心から病気ということを理解したのは、専門医へ行って説明を受けてからです。数値的に健康な人の起き上がった途端の血圧と娘の血圧などを比べると、健康な人とは程遠いグラフであったことを見てやっと病気だと理解できました。

そして、やっとこれは見えない病気(頭が痛い、めまいがする、体が重い)で本当にしんどいのかどうかどこかで疑っていたけれど、娘が言っていることを全て信じて寄り添う気持ちになれました。

そこからは、常識にとらわれず、起き上がれない日はお行儀よりは栄養を摂ることが大事だと寝転んだままご飯を食べたり、娘の言うことややる事を否定したりせず、金銭的に不可能なことでない限りやりたいと言ったことは応援し、やりたくないと言ったことはやらなくてよいよう自由に過ごすことに協力しました。学校もその一つで、最初は何としてでも行こうと思っていた娘ですが、昼からしか行くことができなくなり、クラスメイトからの誹謗を受け、それを隣で聞いていたにも関わらず注意もしなかった担任に失望し、学校へ行くことをやめました。そして、無理をして何とか受けた定期テストでクラスで一番の点数にも関わらず出席していないからという理由で成績表で「1」となりました。これらの事について学校と話し合いをしている中で、先生たちの古く凝り固まった価値観や昭和のままな学校の考え方や仕組み、新しいことを取り入れることをしたくないと言った雰囲気に私もこの人たちから学ぶことはないと感じ、無理をしてまで学校へ行かなくて良いと本気で思うようになりました。詳しくはこちらをご覧ください。↓

「私たち親子は公立中学から見捨てられた」

私たち親子は公立中学から見捨てられた。|しろくま
起立性調節障害により学校へ行くことができなくなった娘は勉強はしたいからスタディサプリやZ会で自宅で出来ることを頑張っていた。 しかし、中3の1学期の成績表により成績表は学校に通っていることが前提の評価...

勉強は?

このように引きこもりどころか一日中寝たきりのような生活だった中学校へ通えなかった娘が授業も受けず何とか受けた定期テストでクラスで一番の成績を取っていたのはZ会とスタディサプリを家でやっていたからだと思います。寝転んだまま動画を見ていました。

結局娘の中学はいくらテストの点が良くても出席できないと成績表で「1」となり内申点がないので、受験で全国でも有数な内申点の割合が高い公立高校の地域なので公立高校は諦めました。私立は理解してくれる学校もあったようですが、結局また出席日数が足らないとか何としてでも出席しないととなるとまた精神的にストレスになるということで前向きに通信制高校を選ぶ事になりました。ただ体調的に何校も見学することはできず決めたので、のちにその通信制高校も辞める事になりました。

その後は自分で動画を見て勉強し高卒認定に合格し、現在上京し有名大学へ行きたいと浪人中。寝たきりでどうなることかと思っていた頃から考えるとすごく前向きに浪人生活を送っています。(その後、一浪の末、無事に第一志望の東京の大学へ合格することができました)

中学卒業後

中学卒業後もまだ寝たきりのような状態の日もあり、いつまでこのような日々が続くのかどうなってしまうのかと心配事はつきませんでした。通勤途中に同じような年頃の子供たちが楽しそうに友達と学校へ通っているのを見てはどうしてうちの子だけこんな事になってしまったのかと涙する日もありました。

栄養だけはと寝転んだままで食事をし、1日中ほとんど布団の上の生活。次第に体重は増えていました。そして、ある日娘はその事に気づきSwitchでリングフィットをすることにしました。もともとゲームは好きな方なのでどちらかというとゲームとしてやりたかったのかもしれません。ただこれにより、家の中とはいえ少しずつ動く習慣ができ始めました。そして、もっと痩せるためにはとボクササイズのゲームFit Boxingもやってみたいと言い出しました。これにより本当にハードなジムにでも通ってるくらいの運動を家でするようになりました。

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離婚

娘のこの病気に対する中でどうしても許せない一言を言われ離婚することを決めた。ただ、それが決定的な出来事であっただけで、結婚ということ自体が私には向いていなかったのだと今思う。結局のところずっと他人の価値観に合わせて生活していたことで自分の中の何かが壊れてしまったのだと思う。詳しくはこちら↓

離婚を振り返ってみた|しろくま
思えば最初から我慢していたのかな 新しい生活が始まる頃、電化製品、家具など一緒に買い物していても私の買いたい物というよりは自分の買いたい物を買っていた。私はそこまでこだわりはないものの、好きな雰囲気と...

娘にとってはいい迷惑かもわからないけれど、娘に対しても厳しくなかなか誉めず自分のペースを乱されるのは許せない人だったのでその環境から離れたことで明らかにのびのびとしている。

こういった環境の変化で娘の病気は大きく好転する事になったと思う。

私自身も他人の価値観で生きるのでなく自分らしさを取り戻す必要があったのだ。

結局のところ

やっと早起きできるようになり、起きた途端から動き出せるようになった今、あのカーテンを開けて電気をつけて何をしても寝ている娘を置いて仕事へ出掛け、通学する近所の子供を見て涙しながら通勤していたのは何だったのだろうかと思います。

何でも完璧にしようとする性格と真面目さ、ブラック部活による睡眠不足、そして周りの同調圧力などに合わすことのつらさなど、それらのストレスが蓄積され溢れ出してしまって、身体が全く動かなくなってしまったのではないかと思います。

離婚により住む場所も環境も変わり、時が流れ自分自身の立場(公立中学→通信制高校→中退→高卒認定合格→大学受験生(浪人)→東京で一人暮らしの大学生 ←イマココ)が変わり、身も心も自由になりその間に十分睡眠時間を摂り、栄養も摂りすぎ、その結果少しずつでも運動し、そう言ったことがこれまで蓄積されたストレスが少しずつ減ってきて4年経ってやっと通常に戻り出したのだと思います。

とはいえ、私は近くで起立性調節障害の子を見守っていただけで医学的な知識等何ら持ち合わせていないただの母親なので自分の子供の例でしか語れません。症状の重さは人それぞれ、しかも同じ人でも時期によっても季節や気温によっても良い時と悪い時があるようです。みんなと同じ方法でなくてもその子の方法で自分らしく成長することはできるということをたくさんの人に理解してもらいたい。一人でも多くの子供が苦しい状況から少しでも楽になることを祈るばかりです。

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