起立性調節障害とわかるまで

スポンサーリンク

始まり・・・

娘は小さい頃から朝ほおっておくといくらでも寝る子どもでした。別に遅くまで起きているわけでもなく、たいてい9時までには布団に入るものの寝付きが悪く、私が先に寝てしまい「眠れない」と起こされることもよくありました。それでも幼稚園、小学校と起こせば何とか起きたので遅刻することはなく通っていました。

中学生になり部活の朝練、学校、土日も休み無く部活、そして週2で塾の生活を今思えば1年以上よく続けていた。もともと真面目な性格だからどれも手を抜かずやろうとしていた。

中学2年生の夏休み吹奏楽部の娘はほぼ毎日朝7時から夕方まで練習があった。家を出発するのが6時半帰ってくるのは夕方7時前。そして夏休みが半分くらい過ぎたある日、起こしても起き上がれなくなりました。部活で何か嫌なことがあったのかと少し休めば大丈夫と簡単に考えていました。

それから2、3日行っては休みの繰返し。夏休みも終わりに近づき2学期がはじまるので、このままでは部活だけでなく学校も休むことになると思い、夜が眠れないというのであれば睡眠薬をもらえば良いのではないかと単純に考えて小児科へ連れて行きました。小児科でこれまでの状況を話して睡眠薬をと言うと、小児科では睡眠薬を出すことはできないからということで子どもも見てくれるという心療内科を紹介された。

そしてその心療内科へ予約をとろうと連絡すると1番早くて1ヶ月後と言われ、この頃まだ学校へ行かさなければと思い込んでいた私はそれでは遅いと他の心療内科へ問い合わせ、少し遠いけれど2週間後に予約が取れたところへ行くことにした。

2学期が始まった

私が考えていた通り案の定2学期が始まっても状況は同じで休んだり遅刻して行ったりの日々。この間に私も夫もこのまま娘は引きこもりになるのではないかとどうして行かないのか、ずる休みではないか、早く寝ないからだと怒ったり、朝も無理矢理起こしたり、引っ張って座らせたり今思えばかわいそうなことをしてしまった。学校が終わる時間くらいになると元気になるので塾は行けそうだったが、学校へ行っていないのに行けないと塾も休みがちになっていた。夫においては「学校へ行かなかったら高校へも行けない」「塾もいくらかかってると思ってるんだ!」など怒鳴ったりもしていた。私には後に離婚の一因ともなるのだが「いつまで世話できるか伝えておかないといけない」とまで言っていた。

心療内科受診

心療内科に初めて行った時点で娘が朝起きてこなくなってかれこれ2ヶ月以上が過ぎていた。児童思春期精神科ともなっていたせいか、キレイな広い待合室には中高生だけでなく小学生もたくさん待っていた。予約もなかなか取れなかったがこういう病院は相談に時間がかかる場合も多く待合室でかなり待つことになる。

やっと娘の名前が呼ばれ最初は2人で診察室へ入りこれまでの状態を話した。するとすぐに起立性調節障害の疑いと言われた。細かく検査したわけではないけれど症状からその疑いがあると。怠けているわけではないから怒らないようにと。一度午前中に病院に来て検査するようにと言われる。

午前中に動き出すことなど無理だったので細かく検査は出来ず。その先生とは相性があわなかったのか娘は何も話をしなかった。終わった後に感想を聞くと担任と似ているから話すのが怖いと言い出した。一応次の予約をしたもののこれではどうにもならないと他の病院を探す。

近くの女医さんの心療内科を見つけ予約する。ここもまた早くて1ヶ月先の予約となった。それまでに前に行った病院の診察があったので行ったが相変わらず娘は先生と一言も話もしない様子。これでは正しく診察されないのではないかと思いここの病院へは行かなくなった。そうしているうちに次に予約した女医さんの病院での診察日となった。

そこでこれまでの経緯や今の状況を話したところ「もう学校行かなくていいんじゃない」と先生に言われる。その一言で私も本人もなんだかスッキリした。そうだ。そうなんだ。そんなに苦しい思いをしてまで学校へ行かなくていいんだ。その病院では娘の後、私も診察を受け仕事に行く通勤電車で涙がぽろぽろ出てしまうことを伝える。すると娘だけでなく私にも薬が出された。これが動けなくなりだしてから5ヶ月後。

ただ、病名としては疑いとしか言われていないため、私としては専門的なところで一度きちんと検査してもらいたかった。この専門の病院も予約を取るのは大変で半年後くらいが一番早かった。たまたま仕事が休みの日にその病院のHPを見ていたらキャンセルが出て予約を取れるようになっていたので予約を変更し年明けに見てもらえるようになった。

いずれにせよ子供の心を扱ってるような病院どこもかしこも繁盛しすぎ。そんな病院が、混み合っている日本はどうかしている

専門医にて

見たこともないベットに寝転びそのベッド自体が動き立ち上がった状態や斜めの状態、寝転んだ状態など色々な体勢での血圧、脈拍、脳への血流などを測定する様子。その間に私は違う部屋でこれまでのことを話し、これからの心構えなどのビデオを見せられる。ここでの検査で娘は起立性調節障害の中の体位性頻脈症候群と言われる。そして通常の人のグラフと娘のものとを比較してみるとぜんぜん違うことがわかる。ここで初めて私は娘は本当に病気で体が重く動けないことを自分自身の中で理解した。今思えばこういうところに夫も来ておくべきだったんだと思う。私はあちこちの病院で色々話をし、様々な先生からの言葉で明らかにこれまでの価値観や常識を捨てていくことになった。そこに参加しなかった夫だけはこれまでの価値観から抜け出せずにいたように思う。

とにかく家の中でも良いから動けるときに歩くように。水分をたくさん取るように。それ以外薬も何もなかった。私は常識を捨ててストレスを与えないように言われた。

そして現在・・・

その後、寝たきり状態な時期も経験。そこから現在5年が過ぎ、ようやく朝起きれるようになり、起床後すぐ動き出せるように。これはかなりの復活であり、先日の共通テストを受験できたことはあの頃からは考えられないことで、試験会場へ入っていく娘の姿を見て涙が溢れた。

どのように復活していったか、母親から見た起立性調節障害についてなど追って書いていきたい。

【注意】起立性調節障害と言っても症状の重さは人それぞれ。時期によっても良い時と悪い時がある様子。親はこれまでの常識を捨てて子供にストレスを与えないよう黙って見守りとことん寄り添うしかないと思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました